さて、メイドさんの案内で遊星君がいる部屋までやってきたんだけど・・・。
どうしよう・・・なんだか物凄く陰鬱な空気が扉を開ける前から伝わってくる・・・。
正直、開けたくない。
思わず助けを求めるようにメイドさんの方を見ると、とっくにいなくなっていた。
ああ・・・ジャック君にアルバム探すように言われてたもんね・・・。
・・・そうだ、助けなんてない。
長男であるボクがなんとかしないといけないんだ。
十代くんの哀しい横顔を思い出し、ボクは意を決して扉を開いた。
まだ夕方になったばかりで外は明るいのに、部屋の中はなんだか薄暗い・・・。
見ると電気が点いておらず、カーテンも閉め切られていた。
でも見えにくいというだけで遊星君を探すのは不可能じゃない。
後ろ手に扉を閉め、ボクは部屋の中へと入った。
キョロキョロと辺りを見回す。
遊星君はいない・・・。
奥の方へと進むと寝室への扉を見つけた。
ボクはドアノブを引いて中を確かめる。

「遊星君・・・!」

豪華なキングサイズのベッドの上に遊星君がいた。
体育座りして腕の中に顔を埋めている遊星君はボクが来た事に気付いた様子はない。
寝てるのかなと思ったボクは、無駄にでかいベッドに靴を脱いでから乗り上がる。
そして近寄り遊星君の腕に触れた瞬間、ハッと顔を上げた遊星君を見て、思わず絶句した。

「にい、さん」

弱々しくボクを呼ぶその声は・・・酷く掠れていて、遊星君が発したモノだと認識出来なかった。
この一週間、眠れていなかったんだろうか?
目は充血し、隈が出来ていて、顔色が悪い。
頬も心なしかこけているようだ。
憔悴しきった様子の遊星君に掛ける言葉が見つからない。
目を見開いたまま固まっているボクに、遊星君は乾燥してひび割れた唇から声を出した。

「酷い事を・・・酷い事を言ってしまったんです・・・。バケモノと罵って・・・もう顔も合わせたくないと・・・」

わなわなと遊星君の唇が震え、ギュッと強く口が閉じられた。
脆く傷付き易い状態だったからか、ツゥー・・・と口の端から血が垂れた。
それを見た瞬間、ようやくボクの脳が活動を再開し、慌ててポケットに入れていたハンカチでそれを拭う。

「ゆ、遊星君・・・その・・・」
「あの人を・・・心底傷付けてしまった・・・。罵ったあの時の、絶望に染まった表情が忘れられないんです・・・兄さん」

あんな事を言うつもりなかったのに・・・と遊星君は呟いた。

「後悔、しているんだね」

ボクの言葉に遊星君はコクリと頷く。
もしも遊星君が頑なになってボクの言葉を聞いてくれない状態だったらどうしようと思っていたけど、この様子だとすぐにでも仲直り出来そうだ。
安堵の息を吐いて、ボクは遊星君の手を握り締める。

「大丈夫。言った言葉は消せないけど、傷付けたその心は癒せるんだ」
「・・・・・・」
「だから十代くんに謝りに行こ?ね、遊星君」

これでボクの役目も終わり。
あとは二人しだいだ・・・。
そう、ボクが思った時、遊星君は静かに首を横に振った。

「え・・・?」
「ダメなんです、兄さん」
「な、何がダメなの?」
「・・・オレは、あの人を傷付けて後悔しています。でも、恐怖を感じたのは本当なんです」

繋いだ手から遊星君の体の震えが伝わってくる。
寒さからじゃない、怯えからの震えにボクは目を見張った。

「怖い・・・、怖いんです・・・!あの人の得体の知れない力が!何なんですかあの人は!?本当に・・・人間なんですか・・・!?」

遊星君はさっきよりも顔色が悪くなり、唇まで青くなっていた。
怯えきったその様子に、ボクはこの一週間、何で仕事に行ってしまったんだろうと本当に後悔した。
暗い部屋に一人で考え込ませてしまったせいで、こんなにも弱り切ってしまった。
十代くんは猛獣でもバケモノでもないのに、澱んだ思考のせいで恐怖の対象とインプットされたんだろう。
人とは違う能力を持っただけで怯えられるなんて、そんなの酷過ぎる。
この遊星君の間違った認識をなんとかしないと。

「ねぇ、遊星君はもう一人のボクの事を覚えているかな?」
「・・・?」
「覚えてるよね。キミはボクが嫉妬しちゃうぐらい慕ってたんだから」

遊星君の手を離し、ボクはベッドに座って語り掛ける。
唐突な話題の変わりように遊星君は訝しげだ。

「もう一人のボクは遊星君にとって理想の兄だったのかもね。威厳があって頼りがいがあってデュエルも強いんだから」
「・・・もう一人の兄さんは確かに凄い人で、俺の憧れでした。けど、遊戯兄さんも俺の目標ですよ」
「ふふ、ありがとう。・・・それでね、遊星君は知らないだろうけど、彼も得体の知れない力を持ってたんだよ」
「えっ?」
「だからボクも最初怖かった。今の遊星君みたいに怯えてたよ」

ボクの告白に遊星君は驚いているようだった。
実は、遊星君にはもう一人のボクの表面しか見せていないんだ。
闇のデュエルとかそういう危ない事は極力見せないようにした。
あ、もちろん何でエジプトに行ったのかとかもう一人のボクの正体とかはちゃんと話してるよ。
でも真実は結構誤魔化してる。

「もう一人のボクはね、ちょっと過激でね・・・いろいろあったよ。ボクの意識がない間、何してたと思う?」
「な・・・何ですか?」
「精神崩壊させたり、視力を失わせたり、火だるまにしたり、爆発させたり、感電させたり・・・あとは――――――」
「も、もういいです・・・」
「そう?まだまだあるんだけど」

もう一人のボクがやってきた事は三千年前ならともかく、この現代社会では傷害事件と言える酷い行為だ。
この事実を告げられた時、気の弱いボクにはとてもじゃないが受け入れられなかった。
もし、こんな事をされた人たちが訴えてきたり復讐してきたらどうしようとか、捕まってしまうんじゃないかと不安だった。
そして、こんな事を平気で行えるような人がボクの心の中にいるというのが怖かった。

「・・・もう一人の兄さんは本当にそんな事を・・・?」
「まぁ、次第に丸くなってそういう事は滅多にしなくなったけどね。でもやった事は事実だよ」
「・・・・・・」
「嫌いになった?」
「え?」
「この話を聞いて、もう尊敬出来なくなった?」
「・・・いいえ」

遊星君は首を振り、ボクを見る。

「もう一人の兄さんは人をわざと傷付けるような人ではないです。それは何か事情があってした事だと思います」
「うん。そうだね。遊星君の言う通りだよ。やった理由はボクや友達、みんなを助ける為だったんだ」

もう一人のボクが精神崩壊させた人は結構いると思う。
でも精神崩壊した人たちはまた一から心を作り直し、まともな人になった。
海馬君や牛尾先輩は一番顕著にその成果が表れた人じゃないかな。
視力を失った人も視力回復して今や有名なディレクターになってる。
火だるまになった人は凶悪犯で、捕まってリハビリを受けて大人しくなったらしい。
爆発した先輩は横暴な人だったけど、ヤケドが治ったらお好み焼きを作ってくれる良い先輩になった。
感電した人は・・・懲りずに城之内くんをつけ狙ってるらしいけど。

「もう一人のボクは人を傷付ける力を持ってた。けど、それは決してボクらに向けなかった」
「はい」
「彼の力は仲間を守る為に使われた。ボクは彼と心を交わして、知って、恐れるような人じゃないって分かったんだ」

ボクの言葉に遊星君は頷く。

「・・・十代くんも同じだよ」
「・・・」
「キミはまだ十代くんの一面しか知らない。知っていないから怖いんだ」
「兄さん・・・」
「あの子だって遊星君の事分かってない。キミたちは今こそお互いに歩み寄らないとダメなんだ」






















ジャック邸を出て、帰り道を進む。
遊星君は今、ボクの一歩後ろを歩いている。
緊張して顔が強張っているから和ませたいけど・・・、これは彼の戦いなんだ。
ボクがこんな所で水を差すわけにはいかない。
無言のまま自宅に着き、ボクはドアに手を掛け玄関に入る。
後ろの遊星君がおそるおそると足音を立てずについてきた。
そのままリビングまで足を進め、様子を窺う。

「あ、十代くん・・・寝てるね」

ソファの上で十代くんは仰向けになって寝ていた。
起こさないようにそっと近付いて見ると、頬に涙が流れた跡が残っているのが分かった。
ああ、やっぱりボクがこの家を出てから泣いていたんだね・・・。
目元が腫れて赤くなってる。
ボクはその姿に切なくなってしまって目が潤んだ。

「俺は・・・こんな人を怖がっていたんですね・・・」

ボクの後ろでずっと十代くんを見ていた遊星君がスッとソファの前に膝をついた。
グローブを外し、そっと涙の跡を拭う。
どこか儚い、悲哀の滲んだ表情の十代くんを初めて見て、ようやく遊星君の中の恐怖心が和らいだようだった。
もう遊星君の顔に恐れは見えなかった。

「ん・・・」

遊星君の手の感触に目覚めたのか、十代くんがうっすらと目を開ける。
ぼんやりとこちらを見遣った十代くんはすぐ近くに遊星君がいるのに気付いた瞬間、バッと身を起こした。
しばらくお互い無言で見つめ合う二人。
遊星君は何か言おうとしてるみたいだけど、口をパクパクしてるだけじゃ伝わらないよ!
十代くんは十代くんで気まずげに貧乏ゆすりしている。

「その・・・十代さん・・・」

どうにか絞り出したのか出た声は掠れていた。
遊星君が声を出した事で十代くんはビクッと肩を震わせ、顔を俯かせる。

「遊星怖がらせて悪かった。オレはお前の言う通り人間じゃねぇ。バケモノなんだ」

顔を上げないまま、十代くんが早口でこう言った。
自分を貶めるその言葉にボクは口を出しそうになったけど、なんとか堪える。

「こんなのが兄弟だなんて知ってもっと嫌いになったんだろ?だけどこれがオレなんだ」
「・・・」
「受け入れて欲しいなんてもう思わないから。でも、この家からは追い出さないでくれ・・・」

ここを出たら本当に人間じゃなくなってしまう・・・と十代くんは言った。
遊星君は黙したまま十代くんを呆然と見ている。
どうするの?遊星君。
十代くんにここまで言わせて良いと思ってるの?
黙ってたら、また後悔するよ。

「俺は・・・あなたを嫌ってませんよ、十代さん」

十代くんは顔を上げ、遊星君を睨みつけた。

「嘘を吐くな。オレはバケモノだからお前の心が読める。お前は心の中は恐怖でいっぱいだ」
「・・・確かに、俺はあなたが怖いです。あなたの力に怯えてます」
「ならオレに期待を持たせるような言葉を吐くな!嫌いなら嫌いとはっきり言えよッ!!」

十代くんの怒鳴り声は悲鳴に近かった。
もうこれ以上、自分を傷付ける言葉を吐く十代くんを見たくない。
そうボクが思った時、遊星君が十代くんの襟首を掴んで怒鳴り返した。

「俺はッ!あなたを知らないから怖いんですッ!!」
「・・・っ?」

真剣さを帯びた声に十代くんは目を大きく開け、食い入るように遊星君を見る。
心を探るその目に遊星君は怯まず、真摯に話し出した。

「最初はあなたがこの家に住む事になって嫌で嫌で仕方ありませんでした。あなたは俺をからかってくるし、口を開けば遊戯さん、遊戯さんとそればかり・・・それ以外の言葉を知らないのかと言いたくなる時も多々ありましたし」
「それは・・・悪かった」
「今のあなたの事は正直に言うと嫌いでも好きでもありません。ですが・・・興味はあります」
「は・・・?」
「俺たちはお互いに興味がなさ過ぎた。だから仲良くなれなかったんです。でも今は、あなたを知って兄弟としてやってみたいと思ってます」

十代くんと目をしっかりと見つめ合わせ、本心から話そうとあの無口な遊星君が努力している。
今までこんなにも長く話している遊星君をボクは見た事ない。

「十代さん。あなたに俺を知って欲しい。俺は、あなたを知りたいです」
「・・・無理すんな」
「無理なんてしてません」
「気持ち悪いクセに」
「気持ち悪くありません」
「いたら嫌だろ」
「いても構いません」
「ニートだぞ」
「支えます」
「抱き付くぞ」
「慣れます」
「何なんだよ、お前」
「弟です」
「・・・」
「・・・」

あ、遊星君が・・・自分から弟って・・・。
ボクと十代くんは目を丸くして遊星君を見つめた。
二人分の視線を受けて遊星君はサッと顔を赤らめると、十代くんの襟首から手を放した。

「だ、だいたい遊戯兄さんだって規格外なんだ!アンタなんて今更大した事ないっ!グダグダ言わずにここにいろ!」

なんて事だろう。
あの遊星君が。
あの無口で感情を見せない遊星君が・・・。
こんな心に届くセリフを言えるような男に成長したんだ・・・。

「・・・大した事じゃないって、遊戯さん」
「うん」
「ここにいろって・・・」
「良かったね、十代くん」

十代くんの問題は決して軽いモノじゃない。
相談出来なくて、ずっと抱え込んでいた大きな問題だ。
でも、遊星君は大した事ないと宣言してくれたのだ。
十代くんはきっとこの言葉が欲しかったんだね。
心からの想いが篭った言葉。
心が読めなくたってボクだって分かったもん。
ああ、男前に育っちゃって・・・お兄ちゃんは驚きと感動で胸がいっぱいだよ。
すると十代くんはボクの心の声が聞こえたのかクスッと笑うと、遊星このやろぉぉぉぉ!男前になりやがってぇぇぇぇ!と遊星君に飛び付きながら嬉しそうに言った。
は?え?と目を白黒させつつも十代くんを落とさないように腕で支える遊星君。
ボクはそんな二人に思わず吹き出してしまう。
・・・良かった。なんとか・・・一歩進んだかな?
これからこの子たちは本当の家族になる為に進んでいくんだね。
遅いスタートだけど、きっとどこよりも面白い家族になれる。
ボクは二人を見て、そんな予感がしたのだった。