裏社会では様々な犯罪が蔓延っている。
非道な事がまかり通る闇がこの世にあるという事を表を歩く一般人たちは知らない。
彼らが気付かないその闇の中では、人間としての尊厳を奪われ、使い捨てられる存在がいた。
裏社会のとある組織が開発した性玩具、通称『猫』。
愛くるしい猫と人間を融合して猫人間を作るという実験が成功し、彼らは生まれた。
彼らの特徴は猫耳と尻尾、人語を話せず、猫のように鳴く事しか出来ない。
敏感で快感に弱く、人を悦ばせれるように躾けられており愛玩動物、いや、商品として裏で秘密裏に売られている。 元となる人間は組織が誘拐した幼い少年少女である。
孤児を狙う事もあれば下校途中の小学生が対象となる事もあった。




十代はその下校途中で誘拐された子供の一人だった。




幼い時だったので、もう二十歳になった今となっては両親の顔も住んでいた場所も思い出せない。
覚えているのは最近の事だけ。自分の日常である性的暴力ぐらいだ。
興奮して息が荒い男の顔、まさぐってくる湿った手、貫かれる灼熱の痛み・・・。
それが日常であるとはいえ、十代はそれを受け入れている訳じゃなかった。
いつだって虎視眈々と逃げるチャンスを窺っていた。
迂闊に逃げ出せばさらなる改良実験をされたり、鬼畜な調教師に仕置きされる。
上手く立ち回り、自身の反骨精神を悟られないように十代は赤い服を纏って挑発的に誘い、相手に愛嬌を振り撒いた。
その結果、美しくしなやかな肢体で誘惑する淫乱な『赤い猫』として有名になり、十代は組織で一番の稼ぎ頭の位置につき、信頼を得た。
だが、それで命の危険がないなんて事はなかった。
過激なプレイやただ痛めつける為だけに買う男だっているのだ。
十代も何度かそういう目にあった。
その度に生死の境をさ迷ったが、何とか生き残れた。
しかし、十代は生き残れても他の『猫』たちは違う。
調教師の過度な躾や飼い主の性的暴力に耐え切れずに死んでいく仲間。
新しく入ったが実験の過程で死んでいった奴。
無念の中、死んでいく彼ら彼女らを見る度に十代は逃げる決心を更に固めていった。




そして、ついにチャンスが訪れた。




十代を買った相手が興奮のあまり腹上死したのだ。
人気商品の『赤い猫』がようやく手に入った事で気持ちが高ぶり過ぎたのだろうか。
十代の服を捲り、まさぐっていた男は呻き声を上げたかと思うと、バタリと十代の上に倒れてきた。
その瞬間は突然の出来事に呆然としてしまって、十代はただただ男に圧し掛かられたまま天井を眺めていた。





これはチャンスだ。


今なら逃げられる。


自由になるんだ・・・!




心の叫びが溢れ出し、澱んでいた十代の眼に力が漲った。
男を蹴飛ばし、乱れていた服を直し、窓から外へと飛び出した。
三階なんて『猫』の十代には大した高さじゃない。
裸足の足に突き刺さる棘や石に構わず駆け出す。
遠くへ・・・遠くへ・・・。
誰の手も届かない遥か彼方へ。
十代は後ろを振り返る事なく、逃げ切ってやるというその一心で足を速めるのだった。









だが、十代のその逃走は新たな苦難の始まりであった。
なぜなら人と関わる事ができない。
人から見たら十代のその姿は奇異に映るだろう。
騒ぎになって居場所が組織の人間にバレたらと思うと人前に姿を晒せなかった。
そして意思疎通が出来ないという事実が十代に一番重く圧し掛かっていた。
人間でもなく本当の猫でもない十代は、けれど人間なのだ。
野生の動物のように鋭い爪も牙も持ってないので獲物を狩るなんて事は出来ない。
そして野良猫は警戒心が強く、縄張りに一歩でも足を踏み入れたら異質な存在に襲い掛かってくるので残飯漁りなんて事も出来ない。
逃げ出しても辛かった現実に十代は打ちのめされた。
水と野草でなんとか耐えていたが、とうとう3日を超えた辺りで十代に限界が訪れた。
路地裏の壁にもたれ掛かるが体を支え切れず、膝をつく。
追われているというプレッシャー、体に合わない食べ物、屋根と壁のない生活など、それらが過剰なストレスとなって十代を蝕んでいたのだ。
薄れゆく意識の中、何の思い出も浮かばない自分に十代は涙を流す。
友達と共に遊んで楽しかったあの頃も、家族と一緒に笑った時間も何も思い出せない。
ただただ真っ白な記憶に十代は絶望したのだった・・・。









目が覚めた時に上から見下ろすように自分の顔を覗く男を見て、十代は飛び上がる程驚いた。
捕まったのだと思い、焦って後ろに下がり、そのせいで今まで寝ていたベッドから転げ落ちた。
痛みに呻く十代を慌てた顔で男が助け起こし、話し掛ける。

「驚かせてすみません・・・!大丈夫ですか?」
「にゃあ・・・?」

打ちつけた腰を労わるように擦る男の手にいやらしさを全く感じなくて十代は疑問を覚えた。
それにこんな風に優しい言葉を掛けてもらうなんて初めてで口がポカンと開く。
そんな十代の様子を見て、男はここはどこでお前は誰なんだ状態と思ったのか自己紹介をし始めた。

「俺の名前は不動遊星です。ここは俺のマンションで、路地裏で倒れているあなたを見つけここまで運びました」
「みゃう・・・」
「怪我をしているようだったので悪いとは思いましたが服は脱がしました。すみませんでした」

頭を下げて謝る遊星と名乗った男を十代は不思議そうに眺めた。
何を謝る必要があるのだろう?
今までが半裸族みたいな生活だったので違和感なんて感じていなかった十代は言われて初めて真っ裸なのに気が付いた。
自分の体を見てみると転んで擦り剥いた膝や肘、裸足で走ったせいで爪まで剥がれる程傷付いていた足が包帯で覆われている。
丁寧に巻かれたそれは優しさに満ち溢れていて、十代は美しいモノを見るかのようにうっとりと目を細めた。
そんな十代を見て遊星は微笑みながら話し掛ける。

「あなたは何という名前ですか?」
「・・・・・・」

聞かれても答えられない。
猫のような言葉しか話せず、重要な書類を見ても字が分からないように脳手術された身では書いて教える事も出来ない。
遊星は困って眉を寄せる十代を慰めるように頭をそっと撫でた。

「人の言葉が話せないのですね・・・。それなら響きだけでも教えてもらえませんか?」
「・・・・・・にゅうにゃい・・・」
「ゆうあい・・・?」
「にゅうにゃい」
「しゅうたい?」
「に"ゅうに"ゃいっ」
「じゅ、じゅうだい?」

その瞬間、十代は嬉しくて堪らなくなった。
名前を呼んでもらえるとはなんて幸せな事なのだろう。
今までは『猫』『赤い猫』実験体番号『No,110』と呼ばれ、誰も十代と呼んでくれなかった。
オレは『十代』なんだ。
十代という名を持つ人間なんだ!
そう叫んでも口から出る言葉は鳴き声。
呼ばれない現状に、自分の名字すら忘れてしまった。
そのうち、もう名前を呼ばれる事なんてないと諦めてしまっていたのだ。
だが、誰も分かってくれなかった自分の名を初めて会った男が理解してくれた。
嬉しくて嬉しくて・・・十代の目からツー・・・と涙が静かに流れた。
声も出ない程感極まっている十代を遊星はそっと抱き締める。

「あなたの名前は十代さんですか?」
「にゃあ・・・!」
「十代さん」
「にゃあ!にゃあ!」

ああ!そうだ、オレの名前は『十代』だ!
オレは十代だったんだ!



名を呼ばれ、応える。



それが十代にとって、今まで生きてきて初めて感じた幸せだった。