怪我と衰弱状態という事もあり、十代は遊星のマンションに居候する事になった。
異形の十代を拾ってくれて、しかも優しく看護してくれ抱き締めてくれた人。
だが、それですぐ信用するなんてスレた十代にはとても出来なかった。
当然十代はまだ会ったばかり、しかも男の一人暮らしの部屋に住むなんてとても嫌だった。
それに十代は遊星が組織の者ではないかとまだ疑っていた。
油断させた頃に本性を出すのではないかと戦々恐々遊星を観察する十代。
そんな警戒心丸出しの野良猫のような十代だったが、遊星は根気よく世話をした。
出された料理に疑いの眼差しが向けられれば、すぐに目の前で食べて見せて毒がない事を証明した。
それでも十代は警戒しているので遊星はすぐに傍から離れ、一人にした。
そんな事を何回も続けられたら、だんだんと十代も遊星の気遣いに気付いてしまい、遠ざける事に罪悪感を感じ始めていた。
「十代さん。今日は大きなエビが手に入ったのでエビフライにしてみました。食べてみてくれませんか?」
「にゃあ?(エビフライって?)」
ある日の夕飯頃。
遊星が持ってきた料理に十代の目は釘付けになった。
とても美味しそうな香ばしい匂いと黄金色のカリッとした見た目。
それがなんだか懐かしくて、十代は思わず差し出されたそれを遊星が見ている前で初めて食べた。
「十代さん・・・?」
「にゃぅ・・・にゃあ・・・っ」
エビフライの味は十代のおぼろげな記憶を揺さぶるモノだった。
家で良く食べた一番大好きな食べ物だったと十代は思い出す。
忘れていた家族の顔が鮮やかに甦った。
父さん・・・母さん・・・っ。
切なくて切なくて・・・苦しい。
十代は鼻をすすり、涙を堪えた。
振り切るようにそのまま食べ進める十代に遊星は何も言わず、ただ辛そうに眺めていた。
それからその事件の後。
十代は少し遊星を信頼するようになった。
美味しい食事に絆されたのもあるし、それに毒を盛るような卑怯な事はしないだろうと思ったのだ。
一緒の食卓で取るようになってから、遊星は十代が食べる様を幸せそうに微笑んで見つめる。
十代はそれに最初は戸惑ったもののいつの間にか慣れ、釣られて自分も笑顔になってしまう事もあった。
十代が笑顔になると遊星はもっと嬉しそうに微笑む。
そんな遊星が傍にいながらご飯を食べると何故かもっと美味しく感じて、十代は一緒に食べるとこんなにも違うんだと気付いた。
誰かと同じご飯を一緒に食べるなんてなかったから分からなかった。
こんな風に心が温かくなるような食事があったなんて知らなかった。
また新たな幸せに気付いた十代は遊星を疑う気持ちが急速に薄れていくのを感じた。
そこから近付いていく十代と遊星の心の距離。
別々の部屋で寝ていたのに、同じ部屋で過ごすようになった。
十代が悪夢にうなされている時は一緒のベッドで抱き締めあって寝る時もあった。
遊星の頼りがいのある逞しい腕に包まれると、十代は安心して、夢も見ないほどぐっすり眠れた。
起き抜けで寝惚けている遊星が十代にキスした時はとてもドキドキした。
遊星が本を読んでいる間、その膝の上で本当の猫のようにゴロゴロしていると、時おり指が十代の髪をすいて心が満たされた。
たまに遊星が仕事で帰りが遅くなると十代は広い部屋に一人ぼっちで過ごす日があった。
その日はすごく不安で心がキリキリと痛み、辛かった。
でも遊星が帰ってくると会えなかった辛さ分、一層嬉しかった。
遊星と一緒にいると十代の幸せはどんどん増えていく。
それが数ヶ月続き、もう離れるなんて考えられなかった。
気付いた瞬間、十代は遊星を好きになったんだと分かった。
何もかも憎んでいた。
同じ『猫』たちを哀れに思う気持ちはあっても、好きにはなれなかった。
そんな、いっそ全部死んでしまえばいいのにとまで思うほど澱んでいた十代の気持ちを変えたのは遊星だ。
遊星といると幸せで、優しい想いが満ち溢れた。
これが人を愛するという気持ちなんだ。
初めての気持ちに十代はくすぐったくて嬉しくなった。
しかし、十代には遊星に気持ちを伝える手段を持ってなかった。
喋れない。
文字も書けない。
それでどうやって伝えればいいのだろう。
十代の幼い脳では全く思い付かなかった。
そして伝えられない想いは十代の身体を蝕んだ。
その頃から遊星が帰って来るのが深夜になるようになった。
仕事で忙しいからだろう。
そう分かってはいても十代は寂しかった。
生きる為には金がいるなんて、最低な方法で稼いできた十代には分かってる。
だから遊星が出ていく時は笑顔で送り、引き止めるような事はしなかった。
だが、本心ではずっと傍に居て欲しかった。
外で酷い目に遭った十代はもう一歩も部屋から出たくない。
遊星だけが十代の支えなのだ。
それから十代は、傍にいないその寂しさを紛らわすようにテレビを見るようになった。
難しい言葉は分からないが、クルクルと色鮮やかに動く映像は十代の気持ちを誤魔化すには役立っていた。
遊星が居ないと何もする気が起きない十代はベッドに寝ながら一日中テレビを眺める。
食欲も起きず、あまり食べられない。
どんどん体力が落ちていく十代に遊星は気付かず、今日もまた仕事に出かけていった。
会話も出来ていない現状にストレスが溜まる。
そして、十代は気付いていた。
自分の寿命が残り少ない事に・・・。
猫の遺伝子が入った事で寿命は猫と同じぐらいになってしまったようだ。
それでも十代は遊星にこの状態を訴える事が出来なかった。
遊星に死ぬ時を見られるぐらいなら、このまま遊星の元から消えたい・・・。
そんな思いが十代を過ぎるが、もうそんな力もなかった。
ベッドに臥せ、重い想いに苦しんでいるその時、テレビから臨時ニュースが流れた。
十代の猫耳がピクリと動き、テレビに集中する。
『臨時ニュースです。幼い子供たちを狙って誘拐する大手犯罪組織の幹部が先程、全て捕まりました。今、警察の手が入り、証拠品を押収しているようです。組織は壊滅したと見ていいでしょう。この組織は人体実験、人身売買、麻薬取引など様々な犯罪行為を・・・』
テレビに映るその幹部たちの顔は十代が知っている奴らだった。
「みゃぅ・・・」
捕まったのか、アイツらが。
オレを長年苦しめた奴らが全員・・・。
十代は流れるその情報を無感動に聞いていた。
壊滅したと分かっても嬉しくない。
『猫』たちは助かったのだろうかとも思わない。
何故なら十代はもう遊星に救われていたから。
十代にとってはとっくに終わっていた事なのだ。
だが、心の奥底では気になっていたのだろう。
ストン・・・と何かの節目を迎えた気がした。
ベッドに仰向けになって大きなため息を吐くと、十代は目を閉じた。
無くしたい過去が消えて、気が緩んだのだろうか。
必死に繋ぎ止めていた十代の命の灯火が今にも消えようとしていた。
まだ二十歳なのになぁ・・・と十代は残念に思う。
だが、『猫』でここまで生きているのは十代ぐらいではないだろうか。
使い捨てのような扱い方をされるせいで『猫』はすぐに死んでしまうから。
けれど、自分はここまで生き、そしてこんな幸せな環境で死ねるのだ。
とても幸せな事なんだ。
そう十代は思い込み、訪れた死を受け入れようとした。
だけど・・・・・・無理だった。
ボロボロと大粒の涙が零れていく。
まだ死にたくないという想いで十代の胸は張り裂けそうだった。
死にたくないんだ。遊星。
オレ、お前ともっと一緒に居たいんだ。
やっと自由になれたのに。
こんなのってない。
オレの人生って一体何だったんだよ。
初めて人を愛するって気持ちが分かったのに。
それなのに伝える事すら出来ない。
嫌だ。嫌だよ。
遊星・・・。
オレなんて居たって何も出来ないヤツで役に立たないのに、お前はずっと傍においてくれた。
その優しさにオレは泣きたくなる程惹かれたんだ。
好きなんだよ、遊星。
伝えたかった。
伝えたかったよ。
でももう時間がないんだ。
目が見えなくなっちまった。
体も動かねぇ。
死ぬ一歩手前なんだ。
・・・勝手に死んでごめんな?
オレはお前に何も与えられなかった。
でもお前はオレにいつも幸せをくれた。
嬉しかった。
楽しかった。
幸せをありがとう。
こんなオレを幸せにしてくれてありがとう。
・・・・・・・遊星、愛してる。
そして最期の時。
誰にも看取られる事なく。
十代は遊星への想いを秘めたまま、儚く死んだのだった・・・。